ヒトにあって、コンピュータにないもの

以下を読んで思ったことを書く。コンピュータとかプログラムとか全然しらんけど。
人工知能の進化とロマンの喪失 | 外資系 戦略コンサルタントの着眼点


ざっくりヒトとコンピュータの違いを挙げる。以下に抜けたりしてるものは多分誤差の範囲内。

コンピュータ・ヒト両方にあるもの

計算・定式的な論理の処理能力。

コンピュータしかないもの

ヒトに比べたら無限大に近い情報の処理速度。ヒトの脳みそが持つ処理能力の一部分だけが、極限的なスピードを持ったようなイメージ。

ヒトにしかないもの

心→意味を付ける機能。感情。とかそういったもの。

人工知能の行けるところ

ちなみに企業の戦略も、将棋と同じように論理の積み重ねが大事ではありますが、一方でこれまでは直感も重要な要素として存在していました。
(以前も戦略における直感の重要性はこちらの記事 で書きました。)

それ自体は今も変わらないのですが、コンピューターの人工知能がさらに進化すると、最後には全検索の世界で、直感よりもコンピューターの論理的思考の方が企業の戦略を正しく構築できるようになるかもしれません。

「戦略」や「判断」には、ある程度の論理性・合理性が必要なのはわかる。*1週刊文春などの週刊誌を見てると、この震災に対応する政府・東電には合理性が足りんのかな、と思う。*2


けど、今日もマスターズ最終日を見て思った。合理性や「普段の練習と同じことをする」技術だけでは、日本では勝ててもあそこでは勝てないと。優勝者とそれと竸っていた人たちはみんな最終4ホールぐらいをバーディばかりで締めくくっていた。プレッシャーのない練習日には出来ないプレーを、プレッシャーが最大になる、最終組最終ホールで出す。ゴルフファンはそれが見れるのが楽しくて、見れるからマスターズに満足する。いつもどおりのプレーでも十分すごいけど、マスターズには相応しくない。こんなプレーをして見せたり、見て満足したりする能力はコンピュータに実装できそうにない。


人工知能がヒトより優れた「判断」をできるようになることはあるかもしれない。統計的に見て答えがあたってる確率がヒトより高い、とか。でも、ヒトが生きてるのは「統計」や「確率」のためじゃない。意味は自分でつけたいし、他人にもその人なりにつけてほしい。いいプレーをしたいし、いいプレーをしてるところを見たい。そういった感情だけはコンピュータや人工知能に満たされることがない。


ヒトが人工知能に代替されるときってのは、きっとヒトが「ヒトにしかないもの」を失ったときなんじゃないだろうか。

*1:んで、この「戦略」「判断」は答えがない問題への対処だと定義して考えてる

*2:そうだとしたらすごく悲しいけど、コンピュータで代替可能ってことになるかもしれない