情報がないという情報、メディア、客観的な視点

客観的な視点を持つことの難しさ

環境問題はなぜウソがまかり通るのか、を読んでて本筋と関係なく考えたこと。

「客観的な視点」という表現はいい意味で使われるけど、実際架空の存在。自分でも極力中立的な知識を持つこと、無意識のうちに偏ったりしないことを意識してる。でも、この本を読んでマスコミの情報操作意欲(意図的でないのも含めて)の高さを知った気がする。環境問題に関して本書がどうかってのはおいといて、一つのマスメディアが両サイドの意見を流すってのは期待できないと思った。

マスコミのモチベーションが気になる

現在のマスコミが流してるのは、「事実という情報」ではなく、「ストーリー化した情報」だろう。これはメディア側も否定出来ないことだと思うんだけど、こういったことをするメリットとか、モチベーションがどんなことなのか。積極的にしたくてしてるのか、流されるままにそうしてるのか、「ヒトが行動するモチベーション」に興味があるので、その辺りがものすごく知りたい。
想像するに、企業として広告主とかの利害関係のために、倫理的に期待される「偏向しない事実の提供」が難しくなってるってのと、もしかしたら記者など個人レベルでも使命感や倫理観が薄くなったりしててイージーな仕事をしちゃってるとかかなー。出世しやすいから、とか褒められるから、あるいはお金がもらえるから、とかそういう直接的な利益もあったりするんだろなー。

偏った情報しかないとき

プチ哲学(佐藤雅彦)に、コーヒーカップが3つ階段状の所に並んでるのがあった。
『プチ哲学』─日常の中で「考えてみる」こと - カクレマショウ
そこから引き出されるのが「情報がないという情報」だった。「情報がない」ことを手がかりにする発想で、きっと今のメディアを見る視点としてこういうのが大事。
さらに、メディアのモチベーションを理解できたら、「流してきた情報」から「流れてこなかったけど存在する情報」も推測できるようになるのではないか、そんな風に思った。


環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)

プチ哲学 (中公文庫)

プチ哲学 (中公文庫)