慣れ:慣れることを信じ、怖がる
慣れ
慣れとは、何らかのモノ・コト・行動などについて、習熟したり、耐性を持ったりすること。人間のメンタル面では、「新しいこと・イヤなことを苦にしなくなる」という意味で重要だと思ってる。ちなみに、KAKENデータベースで「慣れ」を含む研究課題を検索したところ、わずか12件しかヒットしなかった。
KAKEN — Research Projects
慣れることを信じる
慣れてないから、新しいことは怖い。でも、新しいこと=珍しいこと、ではなくて、新しいこと=普通のことと思えれば、色んな事にとっつきやすい。だから、「こういう新しいことをしなきゃならんけど、しばらくしたら慣れるに決まってる」と信じられると強い。
多少のことなら、イヤなことだってヒトは慣れることができる*1。だから、やらなきゃしょうがないイヤなことなら、そのうち慣れるだろう、と思えると気が楽。やらなきゃいけないのなら、嫌だ嫌だって言っててもしょうがないし、実際、大抵のことは大抵の人は慣れることができるはず。
慣れることを怖がる
そうやったり、そうやらなかったりして新しいことに取り組めるようになった時、そのうちにやっぱり慣れが生じる。慣れ自体は良いものでも、得てしてゆるみやたるみの原因になる*2。だから、ある程度慣れて習熟をしても、そこで「ゆるみ」の側に行き過ぎないようにしたいものだ。
また、「慣れている状況」に漫然としていると、次の新しいことに進めなくなったり、イヤなモノ・コト・状況から抜け出す努力を忘れちゃうこともある。そんな時は、慣れてしまっている自分がいたりしないか、時々確認するといいんだろう。
また、慣れてはいけないものもたくさんあると思う。最近特に気をつけなきゃいけないと自戒しているのは、ありがたいこと・感謝すべきことだ。感謝すべきありがたいことはたくさんあるけど、それが日常になるとついつい自分の中に感謝の気持ちを持つことを怠るようになる。ありがたいことは、当然のことではない。
若いうちに他の国・文化・習慣の中で暮らしてみるといい
自分の場合は、ワーキングホリデーで1年ぐらいカナダに行って過ごしてきた。やっぱ日本じゃない国には、その国の文化ややり方、生活があるわけで、自分もこだわりがない方だから、3ヶ月ぐらいかかったけど、それに溶け込んで暮らすことができるようになったと思う。この「溶けこんだ経験」が、自分の「慣れる力」を信用できるようになった大きなきっかけだった。
日本にいると、自分の好きなように、自分が好きになったやり方を維持し続けて、生活をしていける*3。でも、海外で生活をしようと思ったらどうしたって「何かに慣れなきゃいけない状況」がたくさん出てくる。
とか思うけど、どうでもいいことかもしれない
必ずしも新しいことをし続ける必要はない。大学を出て社会人になって、気づけば仕事にも慣れてて、休日は自分の好きなことをして、まあまあ楽しく毎日を生きていく。そういうのは可能だろうし、そういう時に慣れがどうこう言わなきゃならんとは思わない。無理して新しいことをしようとしたら、それ自体が苦痛になっちゃうこともあるだろうし、「気づかないうちに慣れてた」っていう連続でやっていけるのは幸せなことだと思う。
けど、まあ意識的に慣れを作っていく、そんなやり方でやっていく方が自分的には面白そうだと思ってる。