俺の幸福論カテゴリを作ってみた

序言

とりあえず作ってみた感があるけど、充実したコンテンツにするべくほどほどに頑張ってアウトプットする。


幸福には、世界のすべての人の幸福や、周りの人の幸福、家族の幸福などなど色々あるけども、基本はやっぱり「自分の幸福」だと思う。んで問題は、「自分をいかに幸福にするか」。その考え方や実践的な工夫などを詰めていき「幸福の方法論」を確立するのがこのカテゴリの目的。


んで、カテゴリを作ろうと思ったきっかけは、幸福という概念を知って以来、色んな具体例に触れ、いろんな幸福論を読んだりしてとりとめもなく色々考えてはいたんだけど、その「幸福を考えるためのスタート地点」が見えてきたような気がするから。たぶんもう先人が言ったであろうことの焼き直しになるだろうけど、自分なりによりシンプルかつわかりやすい形の幸福論を作りたい。

「自分の幸福」を考える時のスタート地点

「自分の幸福」を考えるためのスタート地点がどこにあるのか、むしろ、どこに設定するのか、ってのが大事だと思う。自分が考えたスタート地点とは、以下の2つのことについて再確認をすること。

  1. 「自分の幸福」が極めて主観的なものであることの再確認
  2. 自分が認識し、生活する場である「自分を取り巻く世界」は、自分が定義して良い、むしろ、自分で定義するしかないことの再確認

幸福は主観的

そのまま。自分が感じた幸福は自分のもので、他人から「幸福そのもの」を与えられることはない。自分の中で発生する幸福感を、どうしたらたくさん出せるか、あるいは、感じるべき時に感じるようにできるか、などある程度コントロールできるようになりたいもので、その方法を考えるのも「自分」の仕事。

「周囲の世界」は自分で定義する

誰がなんと言おうと、「自分が見てる世界」は「他人が見てる世界」と絶対に違う。視野が違うし、同じ視野を見てても視点が違う。「自分にしか見えない世界」には、自分が意味を与え、自分が作用して変えていくしかない。


他人に「ダメな世界」と言われようと、自分が本心から「良い世界に住んでいる」と思えれば幸せ。逆に、他人に言われた通り自分も同じように思っちゃうなんてすごく不自由で、ちょっと周囲に依存しすぎじゃね?そういう影響を受けるべき「他人」は家族だとか、すごく近い友人ぐらいに留めておかないとあとが大変。

ここからスタートしておいて、色んな事柄を考えてみるアプローチでいく

とりあえずさっき思いついた大きいところで、

  1. 周囲世界の出来事は、自らの認知というフィルターを通してから、自分の感情に影響を与える
  2. 認知には、元からバイアスがある
  3. 認知のバイアスは、意識できれば変えられる


スタート地点を正しく設定→大きいシューから考える、って感じでこの辺りから詰めていくと、シンプルな幸福論が出来上がるんじゃないか。これについては具体例を挙げつつまた後ほど書きたい。

最終的に、幸福論はメンタルコントロールに行き着く?

幸福もメンタルの一部と考えるとそんな気がしてくるけどどうなんだろう?まあ今回は幸福そのものについてそんない言及もしてないし、おいおいゆっくりまとめていこう。

付記

書いてみると、すごく「自と他」「自分の中と外」の境界の意識が強いのと、「外から中へのインプットから、自分の中での幸福だとかの感情の湧出」というイメージが強いのに気づいた。幸福の発生過程についてもモデル化しておいた方がいいんだろうか。あと、やたら大きいテーマにざっくりアプローチすると、大きい抜け漏れができちゃいそうだから、時間があったらいろいろ幸福論を読みなおしてみよう。

幸福について―人生論 (新潮文庫)

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