幸福じゃなくなる原因−俺の幸福論その2

幸福・不幸は自分が感じるもの

前回も書いたけど、幸福や不幸って主観的なもので、他の人の影響は限定的。もちろん、他の人にひどいことを言われて悲しいこともあるけれど、それはまた別のお話。
http://d.hatena.ne.jp/bio_DC_amb/20120911/p3


で、幸福を考えるためには、その逆の「幸福じゃないこと」を考えるのも大事かなーと思う。以下は、自分なりに今思う幸福じゃなくなる原因の大きいところで3つと、その根本的な原因を書く。

幸福じゃなくなる原因3つ

MECEじゃないけどざっくり言うと、以下の3つは特に大きいところかなーと思う。

  1. 決めつけること(べき論)
  2. 比べること
  3. 現在の過大評価と未来の過小評価
決めつけること(べき論)

小さい頃から学校の先生や親にこうなりなさいと言われてたとかで、「自分はこうならなきゃいけない」という思考に囚われちゃうと不幸になりがち。だって、そうならない/そうなれない可能性の方が高い。で、もともと決めつけてたことが叶わないと、心は窮屈で辛くなっちゃうのは当たり前。さらに言えば、それ以外の可能性を見ないことで別の幸福への道筋を見えなくなっちゃうのもとても損なこと。


他にも、他人や周囲に対する「彼はこうあるべきだ」「社会はこうあらねばならない」などの決めつける「べき論」はそうならない可能性が高くて損な考え方。


もちろん、なれなかったらそこから柔軟に対処できるなら大丈夫だし、「幸福にならなきゃいけない!」みたいなざっくりしたいい意味での決めつけをするんならむしろ良いことかもしれない。

比べること

本質的には上記の決めつけと同じかもだけど、比較を自分に持ってきちゃうと辛いことが多そう*1。「ノーベル賞をとった人ととってない自分」を比べたら大変。比べる対象なんて無限にあるし、比較をうまく使わず、使われちゃうんならやめといいたほうがお得。


自分の人生に関することでは、自分なりに「他の人は知らんけど、自分はこんなふうになりたい!」という相対的ではない絶対的な価値観が持てたらいいよね。

現在の過大評価と未来の過小評価

人って不思議なもので、今を大きく捉え、未来を小さく見る。そうするとやっぱり辛いことも増える。例えば、「明日のテスト勉強が終わらなくてカリカリしちゃう!今年度末の受験勉強のことなんか考えず今は明日の対策をしなきゃ!」ってなると精神的にも将来的にもジリ貧だけど、「明日のテスト勉強は、今年度末の受験勉強のことを見据えて勉強しよ」って考えたほうが将来的にもハッピーそう。


考えてもしょうがないところがたくさんある未来のうち、確実なものについては今からしっかり見据えておき、現在はそのままの大きさで捉えて取り組む。そういうふうになりたい。

3つの根本的な原因は、思考停止と人間の悲観的性質

どれにも共通することとして、

  1. 考えるのをどこかで止めてしまう/止まってしまうこと
  2. 物事をムダに悲観的に捉えること


があると思う。最悪の状況は、「危機感があってこれしか目に入らない!」って時で、こういう時はたいていのジリ貧な負け戦になってそう。


だから、この辺をバランス良くするだけで、けっこうハッピーにやっていけるんじゃないか。そのバランスが難しいんだけど、少なくとも意識することはできる。んで、自分がバランスを崩した時にちゃんと気づければ、不幸になるのにちょっとは工夫して歯止めをかけれるんじゃないのかなー、と思ってる。

終わりに

こう考えていくと、「幸福じゃなくなる原因」は思考停止と悲観的性質だ!ってなりそうだけど、幸福になるための思考の進め方や物事の捉え方もまた別にあるはず。その辺りはまた後ほど。


あと、書けば書くほど自己啓発になってきそうだけど、自分なりにうまく体系化できたものが作れればそれで良しとしたい。

*1:もちろん研究などではしっかり比較できることはとっても大事