今いるところは本州出身者が多い。大体80−90%ぐらいかな。それで、金曜は同僚とかいろんな人が家族・親戚を心配してたりで落ち着かない一日だった。自分も何が起こっているのか知りたくて、tenki.jp官邸HPをリロードしつつ、yahooやtwitterを見回ってた。どこがやられてるのかもわからなくて、東京にいる兄ちゃん大丈夫かなーとか心配になった。んで、普通にメシが食えたり、風呂に入ったりできるのがありがたいもんだって実感できた。
あと、地元の友達から心配して連絡があったけど、札幌では特に大きな被害もなく無事です。ありがとう。


土曜は、1年間あっため続けてきた企画の勉強会の初開催をした。発表予定者が東北出身だったりで、延期かなーと思ってたけど、無事開催して、その後の飲み会も含めて、普段あまり話す機会のない同期と面白い話がたくさんできた。


日曜は地震のせいか無性に手作りのメシが食べたくなって、近くのおばちゃんが一人でやっている定食屋にいった。いつも「うまい!」って言うたびにおばちゃんがどんどん追加で出してくれるんだけど、日曜は二人でテレビを見ながらメシを食った。家だったらそんなことないのに、おばちゃんと一緒にテレビを見てるとなんか悲しくて涙が出そうになった。


東北の津波が来た現場には、死んだ人は数え切れないぐらい、探しきれないくらいいるだろうし、生きてて避難してる人も寒い夜に、余震もきて、つらいと思う。死んだ方々には冥福を祈りつつ、避難生活をしてる人たちにはこの時期とこの経験を乗り越えていってほしいと思う。

地震を経験しつつ思うこと

人の生き死にっていう一番大事なことを含め、今回思うこと・考えさせられることは本当にたくさんある。その中から、ひとまず二つ書いてみる。

人生のリアルなところ

テレビを見つつ1月のアフリカサンプリング*1での出来事を思い出した。

調査したい湖でGPSを駆使しつつ、割と岸辺に近いところで湖底の泥をサンプリングしてたときのこと。湖底の泥を取るため、長いロープの先に器具がついたのを沈めて、それを引き上げる作業をしてたら、いきなり「パーン」って音が聞こえ始めた。なんかなーって周りを見回しつつ、ロープを手繰り寄せ続け、3回ぐらい聞こえたところで、ボートを操縦してた現地人がさっと体を伏せて、頭を抱え、ボートを急発進させた。作業おわっとらんぞw

気づいたら周りみんな伏せとるし、「え?なになに?」って感じで、最初は何がなんだかぜんぜん理解できなかった。けど、ひとまずみんなの真似して伏せて、ボートの回りで「パシュッ」って水に何かが飛び込む音がしてるので気づいた。

あれは、岸にいた人がピストルかなんかで攻撃してたってことなんだな。んで、その後も音は聞こえ、沖合い?まで逃げ切るところまで、本当に怖かった。死ぬかと思った。

危機が去った後のボートマン(地元の大学で社会学を学ぶ大学1年生。英語が話せるためスカウトされた)の解説では「地元の漁師が網を盗んでると勘違いして、ロケット花火みたいので威嚇してたんだ」とのこと。ボートマン側の集落とは対立してる人々が住んでたらしい。

そんな大事なこと先に言ってくれよ!俺らの動き方みてたら、「研究のため湖底の泥をとってる」なんて思わないし、網をたぐりよせてるようにしか見えないよ!

真相はわからないけど、個人的見解では、ボートマンの「ロケット花火」説はわれわれを安心させるためのもので、本当はピストルだったと思う。普通にもってそうだし、持ってたら威嚇に使ってもおかしくない。


んで、攻撃されてるときは、「訳もわからず攻撃されてるけど、もしあれが頭にでも当たったら死ぬよな」って感じだった。相手も「研究目的」とか理解せずに攻撃してて、誤解が原因といえどピストルで変なとこにあたったら人は死んじゃう。「人生で一番大事そうな生死が決まるのに正当な理由なんかない」っていう妙なリアリティを感じた。「生死」のないところで人は「貧富」や「優劣」を競ったりするんだけど、「生死」のレベルではそういうのはあまり関係がないんだと思った。

ネットと情報リテラシー的なこと

・リアルな生活だけでなく、ブログやらツイッターやらで「不謹慎」って言葉をしばしば見聞きし、炎上も起こったりするらしい
石原都知事の「天罰」発言は誰が見ても不謹慎で、某力士の「神が怒った」ってのも不謹慎。だけど、当事者じゃない人が言う「不謹慎」が怖くて、本当のことが言えなくなるのも困る。本当の情報が出てくるのはしばしばはたからみて「不謹慎」で、そう言われるのが怖ければ出てこないんじゃないか。だから、直接的に感情を害した人の忠告はともかくとして、見逃せばいいのにって思う。見逃す余裕がないってのもつらい。


・「情報がほしいです」っていう避難者の言葉
不謹慎な情報と関連するかな。本当の情報ってなんだろう。あと、本当の情報があると僕たちの行動はそんなに変わるもんなんだろうか。きっと原発のテクニカルで実践的な情報が手に入っても、僕たちは何もできないと思うんだけど。


ここから妄想。
原発に関する情報のどれがあてになるのかわからない」というけど、複数のソースがあって、みんな言ってることが違うとき、その違う原因があるんだと思う。一番ありそうなのが、「危機感を煽りたい*2」マスコミ的な心情とか「動揺させて混乱させるのを避けたい」っていう行政側の心情などの関係者の思惑。もう一つは、「誰も本当のことを知らない」ってこと。

原発事故なんてレア過ぎて今後の動向・成り行きには諸説ありそう。事故を防ぎたいってのはみんなの総意で、関係者・現場の人は一般人以上に責任を感じてそう思ってると思う*3。だから、自分としては、ほどほどの一般市民として情報を摂取して行政側・東京電力が言ったりやったりすることを監視しつつ、最終的には全部お願いするしかないと思ってる。



地震で死ぬ人がいて、のほほんと暮らす自分がいる。ボランティアに行きたいような気もするけど、安易な発言は微妙だし、そもそも行っても迷惑かけるだけになりそう。人が生きてるってのはやっぱそれだけで不思議だなー

*1:いつかまとめを書こうと思いつつもう3月になっちゃった

*2:意図的・日意図的問わず

*3:そうじゃなきゃ真っ先に逃げたくなるだろう