最悪を想定すると、ハッピーに近づく

物事を悲観的に考え、心配することに心を使ってしまうのは、不幸につながると思う。
http://d.hatena.ne.jp/bio_DC_amb/20121023/p1
問題は、「想定したハンパに悪いこと」が、そのまま心にいってしまうこと。悪いことは、いくらでもバリエーションがあって考えたらキリがない*1


そうじゃなくて、ハンパではない「最悪の状況」を考えてみる。「最悪」のバリエーションは限られるし、心じゃなく理性を動かしやすくなる。現実的に有効な反応・対応がしやすくなる。
・最悪は避けるため、自分にできることはあるか?
・自分以外に手伝ってもらえる人はいるか?
・今できることはなにか?将来できることはなにか?
最悪を想定すると、事後的にもハッピーな捉え方をしやすくなるのでは。

例:最悪のケース

博士論文が提出できないと最悪だ

「論文採択が間に合わないことが原因で、博士課程修了できない」ことが想定できていれば、それを避けるためにできることはたくさん出てくる。論文採択がいつまでなら間に合うか?間に合うようにするには、いつ投稿するか?投稿するデータはあるのか?データがないなら、どうやってデータを出すか?
ウダウダ愚痴や恨み言を言って時間を浪費しがちだけど、「最悪」に思い至ればその辺の核心的な問いと答えが自然と出てくる。
結果としてドタバタして他人に迷惑をかけるようなことになっても、間に合いさえすれば、「最悪を避けれて良かった」。間に合わなければ、「想定の範囲内」な分ダメージは少ないかもしれない。

就職が決まらないと最悪だ

これが本当に最悪なのか疑問だけど、そうだとすれば、「就職が決まれば最悪回避」なわけで、やれることがたくさんある。

最悪は死んでしまうことだ

生きてるだけで丸儲け。突き詰めていったらこれ以上先はないんじゃないか。ここまで行けたら、普段の生活は相当ハッピーに過ごせそうだ。

本当の問題は「行き詰まってる時は視野が狭まってて他のことに思い至れない」ことかもしれない

最悪が想定できればいいんじゃないかと思いつくままに書いてるけど、そんな簡単なことではないだろうし、一番難しくしてるのは「行き詰まってる時には余裕がない」ことかもしれない。最悪のケースが現実になって行き詰まってるような時に、視野を広く保ち、目の前の状況に心がとらわれ過ぎないようにすること。それが勝負どころで大事なことなのかな。

*1:逆に、嬉しい事は妄想してもすぐ限界がくる