価値観の可変性とダブルスタンダード化〜「こんな日本でよかったね」内田樹

構造主義的日本論 こんな日本でよかったね (文春文庫)

構造主義的日本論 こんな日本でよかったね (文春文庫)

を読んでる。以下、今日読んでた中盤の辺で考えたこと。

P192「女子大の『実学志向』は自滅への道」節より

しかし、そう言ったら、「性差にかかわらず万人は権力、財貨、威信、情報、文化資本などなどのリソースを欲望している」という条項への同意書名した、ということと解されると私は困る。私だけでなくかなり多くの人が困る。
生物のシステムにおいては、欲望はできるだけ同一対象に集中してはならないからである。


それ以前・以後のことはともかくとして、「生物のシステムにおいては〜〜ならないからである」という「生物のシステムにそんな義務とか要件はないだろー」な表現もともかくとして*1内田樹は、「価値観が均質化・同方向化されると困る」ということを言ってる。


言いたいことはまったくわかるけど、やっぱりみんなお金が大事だからしょうがないよねー。

P187-188「生きていてくれさえすればいい」節より

上の節のいっこ前がこれ。

でも、毎日の新聞を読んでいると、ローンが払えないせいで一家心中したらい、進路のことで意見が違ったので親を殺したり、生活態度が怠惰なので子どもを殺したり、いじめを苦にして自殺する事件が起きている。
ローンとか生活態度とか進路とかいじめというのは、すべて社会関係の中で起きている「記号」レベルの出来事であり、生物学的・生理学的な人間の存在にはほとんど触れることがない。
(中略)
「生きていてくれさえすればいい」というのが、親がこどもに対するときの最も根源的な構えだということを、日本人はもう一度思い出したほうがいいのではないか。


キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
の「記号消費」を思い出すけど、まさに記号。みんながそう思って、そう認めるからそれだけの価値を持つお金という記号が現代はすごく重視されてる。

生きてて当たり前だから、生きてることのありがたさは忘れるのが人間

内田樹の言ってるとおりだけどまったくそうだし、喉元過ぎれば熱さも忘れてしまうのが人間。でも、この「価値観は状況依存」ってところは大事だと思う。


「価値」が状況依存であることがはっきりわかるのは病気になったときや、死にそうなとき。昨日の記事の「犬の命」や「父ちゃんのすい臓がん」に感情移入すればよくわかる。犬を飼ってかわいがってても、ピンピンしてるうちは、飼い犬が死んじゃったら嫌だ!とか思えないよね。


泣ける記事2つ 犬と父ちゃん - ある生物系博士課程大学院生の日記


んで、内田樹のいずれの文にも納得で、順番通りに読むと、「生きてさえいればいいって思えなくなってて、どこでも他の価値に変えられるお金が最上級の価値と錯覚する今って罪な時代だよなー」と思わされるわけだけど、ここで気になってくるのが「価値観の可変性」。

価値観は状況依存で形成されがち、でも自分でも変えられる

状況は外的な力で、自分の中にあるはずの価値観を変形させる。でも、だからといって自分で価値観を変えることができないわけじゃない。自分の価値観を変えるいちばんやさしい方法は、「状況を擬似的に体験すること」。つまり、上記のようなストーリーに感情移入して、その時の感情、感覚を自分の中に残すよう心がければいい。


んで、自分のオリジナルな価値観を持ち、その価値観に責任を持つためには「自分で、意識的に、価値観を育てる」ことが必要。また、「価値観を変える方法」の前に、まず「価値観は自分で意識的に変えられる」という認識を持つことは必須。


ただし、価値観が状況依存で形成されること自体はふつうのコトで、「状況に流される状態」にならなければ良い。逆に、状況依存でなく自分で育てすぎると、傍から見たときに偏ったものになりがちなんじゃないかと思う。

個人的には、価値観のダブルスタンダード化を目指してる

内田樹は「社会や欲望が均質化されること」を危惧しているわけだけど、そんな中で今自分が個人レベルで気をつけたいと思っているのは「価値観が均質化されないこと」ではなく、「価値観が一つだけになってしまうこと」。


買い物するレベルでは「お金は多くのものと変換可能」という価値観がないともちろんだめ、でも、個人の幸福レベルでは「お金がすべてではない」と思わないとやってられない。だって、誰でもお金が十分に手に入るわけじゃないし、どれだけあったら十分かも定義不可能。もちろんお金なしで生きて行くのも相当に難しい。だから、一つの価値観に依存せず、たくさん持った引き出しから、好きなように価値観を出し入れできるのが理想。


お金に限らず、こうやっていろんな場面で「その場面に適切な価値観を発揮する」ことができるようダブル・トリプル、とより多くの価値観の引き出しを持ち、適切な引き出しを開けられること、これがここ5年くらいのモットー。*2

最後に

価値観を変える、とかそういう話を書いたけど、自分的には「価値観」≒「そのひとそのもの」と思ってる。価値観ベース*3で人は動くから。あと、「こんな日本でよかったね」を読むと、内田樹の豊かな教養と価値観を感じることができる。まだ読了してないけど、今後もちょくちょく読み返したい。

*1:後段にニッチ的な話をしてるので表現の問題だろう

*2:高校生の頃はオリジナリティあふれる一つの価値観を志向してたように思う

*3:価値観+ノイズ的に個人の習慣とかクセが行動を作ると思ってる