「世の中のためになる政治」の一番のキードライバーは「総理大臣が権力の自覚」をすることなんじゃないか
政界の話って面白い
今までもいくつか政治家のことなどを書いてきたけど、やっぱり政治の世界の話って好き。
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東電「測定は国と地方行政の仕事で私たちはお手伝いするだけ」 - ある生物系博士課程大学院生の日記
「天の声は天の声。別に変な声だとは思っていない」「自分の価値はどうでもいい」海江田万里、民主党員は「最後の演説で決める」 - ある生物系博士課程大学院生の日記
最終的にざっくりまとめると、「政治家は遊び人」で、「政界はエンタメ」というのが自分の暫定的な結論。もちろん、こう考えるしか現状で納得がいかないのは残念。
政治家は遊び人と考えるぐらいがいい - ある生物系博士課程大学院生の日記
政治の世界は、偏ってるから面白く感じる
なわけだけど、なんで政治の世界の話が面白いのかっていうと、
- 政治家および政治家の行動、成果に関する評価軸・指標が不明瞭
- 指標を決めたとして、政治家の行動から効果が出るのにかなりのタイムラグがあることが多く、定量的な評価が難しい
- マスコミの報道したことしか国民・市民には見えない
- 何をしていても、評価者たる国民・市民からは影響がないように思えることが多い
- 結局、厳選されたわけでも網羅されたわけでもなく、無駄にバイアスのかかった情報を元にしてしか選挙がなされない
- 政治家は地元での選挙当選が最大の目的になり、それ以外は相対的に後回しになる
- だけども、政治家本人は自己の利益のために*1動いている、という想定で考えられていないため、建前が無駄に多い
- ということもあったりして、健全な人材獲得が難しそう
などなど、民間の企業やら組織やらその他の組織にはない特殊性がたぶん多い。んで、バイアスが多い組織かつ、アウトプットやアウトプットに対する評価などが不明瞭になる運命を持っているから、基本的なPDCAサイクルみたいなのも回せない。
本論「総理大臣の影響力ってすごくでかいから、それを自覚しててほしい」
上記のはまあ背景としてそういうのがあるかなーと思っていること。
んで、こういう縛りが多すぎてろくなアウトプットがしづらいし、ろくな人材が集まりづらそうなので、組織的に良いアウトプット・効果的なアウトプットを作るのは難しそう。だから、一番やれそうなのは、総理大臣が自ら持てる権力・影響力を自覚して、うまく使って、自分がしたいと思ったことを実現すること。個人プレーで。
民意を反映して総理大臣が決まってるはずだから、総理大臣がやりたいことが実現されるのはたぶん民意であり、国民の総意といえるはず。んで、極端な場合、国会の解散やら大臣の罷免やらをうまく使って、実力行使で実現したいことをやっちゃっても、それは総理の本分と言えるはず。
郵政民営化した小泉元総理は、国会が言うこときかん→俺、総理としてトガッたこと言って、国民の圧倒的支持作れてる→じゃあ国会解散して総選挙→俺の言うこと聞くやつをしっかり援護→仲間だけで安定多数、やったぜ!
という、「実力・立場・権力をしっかり自覚してうまく使えてた首相」だったんじゃないかと妄想。
たぶん、どんな組織でも「トップが自分の立ち位置と、その立場が持てる権限、影響力をしっかり自覚して、必要に応じて自在に行使できること」が、組織にとっての利益になるはずだし、そういう設計になっているはず。んで、行き過ぎが生じないように安全装置を効かせるなりは、日常的な業務としてやっておけばおk。
あとがき
どうでもいいけど、ポスト資本主義がどうこう、というのを聞いたことがあるけど、「健全性」を軸とした評価軸を重視するってのもありなんじゃないかと思った。健全性が何かって言われてもよくわからんけど。
*1:もしくは、本人が自己に課した使命を果たすために