アナロジーって難しい

とリンク先のを読んで思った。部分的に引用するので、誤解のないよう詳細はリンク先を。
提案:トップ不要の研究組織を! みわ よしこ(ライター) - 科学・政策と社会ニュースクリップ

研究組織をオーケストラに見立てる

「自分たちだけではどうしようもないオーケストラが、指揮者のおかげで素晴らしい音楽を作れる」ということはありません。

というのはたぶんそうなんだろう。けど、だからといって、「じゃあ指揮者をいらないから、指揮者なしでいい音楽を演奏できるオーケストラを目指そう」という方向性をとることになるのか?んで、研究組織もオーケストラと同じだとして、指揮者なしの方が本当に良いのか?うーん、まともな指揮者が全然いない状況なら最善になるかもだけど、そうでなければ次善って感じがする。

トップなしで、集団の方向性が出るのか?

方向性とか必要なくて、各自が好きなことをやる!ってのはなんだか不自然だし非効率っぽい。一人ひとりの力でできることは限られてて、実際、ほとんどの研究はチームプレーで成り立ってると思う。それは論文の著者が一人や二人ではないことから明らか。


んで、チームプレーが必要だとすれば、すべてのメンバー同士が対等な立場としても、実質的なリーダーがいる方がやりやすいだろう。一つのテーマ、あるいは論文一本をものにしようという時に、「何も制約のないまっさらな状態から、民主的に、研究内容・実行する内容・段取り・役割などなどを決める」ことが合理的なのか。「初めにボスありき」で方向性がある程度打ち出されてた方が、話が進みやすいしまっとうな気がする。

プレイヤーとしては、前提条件としてある程度の制約があった方が良い

というのは以前も考えたような気がする。と思ったらやっぱり書いてた。
できない理由よりできる理由、制約とはその前提 - ある生物系博士課程大学院生の日記

トップなしで、最終的な責任はどこに行くのか?

トップがいないことの最大のデメリットはここなんじゃないかと思う。「もし事故・事件が起きたら、誰がそのネガティブな責任をとるのか?」、これをクリアしないことにはトップなしってのは実現できなさそう。*1


んで、現在の常識的に考えて「トップはしっかり責任とったほうが良い」→「責任を取る人がいないと困るという意味でもトップが必要」と思うんだけど、「トップが責任を取らない」のがデフォルトになれば、「トップなしの組織」も作りやすくなるかも。

この辺は全面的に同意

そうすれば、たとえば若い学生たちは、目の前に「あんなふうになれたら、結婚できるし子どもを育てられる。しかもそれは、実現不可能な高い目標ではなくて、毎日の少しずつの努力でなれる」というロールモデルを見ることになります。それが10年・20年続けられたら、人生を託するに足る「カタい仕事」としての理系の仕事の生態系が再構築されるでしょう。


こうなったらいいよな。じゃあどうしたらいいのか?トップなしにしたらいいのか?


お金の話だったら、予算をもっと増やせばいいかもしれないし、人を減らして人件費を減らせばいいのかも。でも、やっぱり科学の予算だけで考えてもその他とのバランス問題は絶対出る。世論的なのも無視できない。


お金以外にも、なんかいろいろ方策はありえそうだけど、よほど良いアイデアが思いついたとしても、実際に実行する人がいないと現実化しない。んで、科学予算に限らず全体的な話を踏まえて、そういうのが必要だと考え、実際に取り組んでいる人のことを寡聞にして知らない。その辺はちょっと悲しい。

*1:もちろん、トップがいるからといってしっかり責任をとってる人ばかりではないのは自明