倫理とは、良いことではなく、悪いことを規定するもの、かもしれない

今週、某大学の某教授が論文のデータ捏造で辞職するという事件があったらしい。日本のサイエンスのうち、自分もちょっと関係のある業界を支えるトップレベルの研究者だっただけにすごく残念。あと、そのラボのホームページにあるラボマニュアルにけっこうお世話になっていたのだけど、それもなくなっているようで残念。

件の事件について

喫煙室トークで、「教授はそんなくだらないことしないでしょ」という教員側の意見を耳にしたのだけど、それはそうとも言い切れないんじゃないかなーと思った。ポスドクや大学院生といった現場の人たちが


フォトショ使ったらバンドがきれいになった!
この個体の数字をちょこっとだけ変えたら有意差出るじゃん!
→このデータ俺の予想通りでステキ!このまま投稿するのがいいよね!先生にもこのまま見せちゃお!!


みたいに勝手に捏造したりしたとしても、怪しい論文というのが筆頭著者が違うもので20本以上にはならなくね?で、「捏造のある論文を増やせる立場」を考えると、教授や准教授などある程度上層の人が関係してそうに見える。


教授・准教授といったラボの上層部が直接的に関係あった場合、現場が勝手にやって気づかなかったという間接的な場合のいずれにせよ、PIでありラストオーサーでもあるラボの主宰者に責任が行くのは当然の成り行き。んで、教授が直接的に関係があったというなら論外だけど、間接的であっても、そこにこの教授に求められていた倫理が欠けていた、ということは言えるんだろうと思う。

倫理は、「良いこと」ではなく、「サイアクの場合でも招くべきでない事態を防ぐ」ためのもの

今回の事件の教訓は、「やるといいこと」と「やっちゃいけないこと」がある場合、後者を優先すべきだということ。んで、今回の事件で欠けていたのは「やっちゃいけないこと・起こしちゃいけないこと」を防ぐための倫理。


この先生は特に多くの研究費をもらって、その分の成果も期待されて*1、そういう人はきっと他の人より多くの、あるいは質の高い倫理を求められるんだろう。

周囲から必要とされる倫理は、権限・肩書きが増えるにつれて比例的に増える→使い分けが大変

やっちゃいけない/起こしちゃいけないことを防ぐための倫理は、各人の立場・肩書きによって、その人がすべき行動やしちゃいけない行動の「ライン」をざっくりと定義する。んで、より上層の人ほどより多くの立場を持ち、より多くの倫理を使い分けなきゃいけない。んで、そういう意味での倫理は、行動のモチベーションとべったりした関係すぎて、二律背反がたくさんありそうなわけだけど、最優先すべきは「最悪でも起こしちゃいけないこと」の予防。以下にいろんな立場とそのモチベーション・倫理の例を挙げる。


一研究者として、学会や論文の前提とされる「捏造や嘘はないという相互の信頼」を守らなきゃいけないから、生データは公正に解析する。
論文投稿者として、論文にウソは入れないけど、でも受理はされるように努力する。
教員として、学生の成長を阻害しない程度に干渉して、なおかつ研究自体も着実に推進する。
教授として、ラボからのアウトプットをすべて検閲し、あやしげなものを外に出さない。
PIとして、短期的には今年度ラボに必要な資金を獲得し、長期的には継続的に集金できるテーマ構築を行う。
学会の重鎮として、見本となるような模範的な人物でありたいし、それなりの成果を毎年出して、いい顔をしたい。


こっちをとるとあっちが立たない、ってのがたくさんありそうだよね。

捏造する人のモチベーションも気になる

PIクラスが持ちそうな捏造の動機として思いつくのは、実益がありそうなところで、
・論文数稼ぎ(もしくはインパクトファクター稼ぎ
・論文を稼ぐことで研究費獲得・研究報告につなげるの目当て
・ラボメンバーの業績増やす(博士号とらせるため、など。


実益がなさそうなところで、
・虚栄心(誰もやれてないことやってやったぜ!*2、一流紙に報告してる俺かっけー!、など。
・惰性(とりあえずこれもちょこっといじって投稿すればいっちょ上がり!的な。


あとは、複合的な「ほとんど俺の予想通りだけど、ちょっと気に食わないぜ!実験やり直すのめんどいし、どうせ俺が正しくてうまくいくはずだからいじっちゃうぜ!」的なのとか、現場とPIの判断のディスコミュニケーション*3もあるだろうけど、まあいいや。

終わりに

真相はわからないけど、ビッグネームが捏造とかで科学界から退場していくのはほんとうに残念。「死に際を若者に見せるのが年寄りの最後の役目」(大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書))じゃないけど、最後にその真相だけでも残された科学者たちに伝えてくれたら、きっと少しは有意義な退場になるんだと思う。

*1:成果を挙げなきゃいけないという自負・プレッシャーもあって

*2:やったことにしとこ

*3:現場の人が再現性低いことをうまくつたえられず、たまたまうまく行った時のデータで報告してしまう、など