ブログを書く理由を考えてみた。

この前アップした学振のエントリがすごくアクセスを集めてて驚いた。というかむしろ引いた。今まで10ヶ月ぐらいでトータル5000アクセスしかないのに、ここ3日だけでそのうちの1000アクセスぐらいになってれば、そりゃ驚くだろう。2月は、月間1000アクセスでかなりうれしかったのに、こんなに増えるとうれしいというよりなんか怖い。

ブログを書く理由は、自分のためと他人のため。

そんなこんなで改めて考えてみたのだけど、自分がブログを書く理由は大きく2つ。
第一に自分のため。第二に他人のため。これは独立した理由ではなくて、相互的な2つの理由で、これに加えて自分の根っこにそのもととなる性向のようなものがあるのだと思う。

自分のためのブログ

自分のためってのは、自分が持っている知識だとかを他人に価値がある形にまとめてアウトプットする練習。特定のテーマやトピックについてまとめるため、必要な要素・不要な要素を見極め、過不足のない立体的な情報や概念、構造を、文章という線状の構造物の中に落としこむ。ブログはそういう作業の練習だと認識している。


自分が書きたい・まとめたいトピックについて、他人にも価値がある形を模索して書くのは、他人の目色を伺う迎合だとかではなくて、結局は自分のためになるはず。自分が書きたいだけで書きたいことを書くってのは結局将来的に誰のためにもならなそうだし、そもそも難しそう。あと、自分のために書くという意味では、アクセスがあろうがなかろうが、うまくまとめられようが失敗しようが、すべてのエントリにおいて必ず練習になって意味がある。*1

他人のためのブログ

他人のために書く、これは結果論にしかならないけど、アクセス数がわかりやすい指標になるかもしれない。「自分にしか出せないアウトプット」で、できれば「他の多くの人」が「その人にとって有益だと考える内容」にしたい。


自分にしか出せない、つまりオリジナリティのあるアウトプットについて、これは、「能力的なオリジナリティ」でなく、「時間の都合的に他の人はバカバカしくてやらないから、オリジナリティがある」だとか、まあなんでも良い。たぶんそのオリジナリティを認識して、アウトプットまで落とし込めることが重要だし。


あと、研究の中身のことだとかでも今後書きたいと思っているんだけど、その辺では、「何かについてエキスパートになって最先端でやってる人だけがわかる経験則」と「その深いところにある経験則を、アナロジーでもってより広い世界に拡張することでのみ得られる、より広範に適応できる洞察・法則性」が自分にとって重要な、ブログとしてまとめていきたいテーマになると思う。そういう最先端にいる人の多くはこんな風にブログに書いたりする時間がなかったりで、たぶん供給不足になってるし。

自分の性格的な傾向1ー社会全体で見た時にプラスになることをしたい

「誰も得しないもの・行動」が嫌で、できればすべての自分の行動は「トータルで見た時、世の中にはプラスの価値があるもの」にしたい。これは思考だとか願望ではなく、衝動のようなレベルで。


自分が多少マイナスになっても、他の多くの人にプラスだったりすれば良いし、自分も含めてみんながプラスでハッピーになるようなことができるのがベスト。自分が多少研究時間を削ってブログを書こうが、それを1000人の人が読んで、それぞれにちょっとだけでもプラスにしてくれれば、自分のマイナスなんか社会的にはすぐペイするはず。*2

自分の性格的な傾向2ー再構成・再解析・再解釈によって油をとりつくしたい

上記のに加えて、「処理されていない生データを再構成して、解析・解釈を付け直すことで有効活用する」という概念や仕事が好き。これは研究でも、ブログでもそうで、百姓と胡麻は絞るほど油が取れる、だから絞りつくしたい、そんな感じ。


研究の話で言えば、現在のバイオロジーの世界で重視されている要素に、「一つの論文を作るために、一連のデータによって証拠付けられた一つのストーリーを作る」ということがある。すべてのデータは、最終的な結論を裏付けるためのもので、個々の単独のデータとしての重要性は相対的に低く見ておく。その結果、個別のデータだけを抜き出した解釈はしにくくて、その著者が作っている文脈の外での解釈の余地が小さくなってしまう。んでタコツボ化していく。自分にはそんな風に見えるんだけど、そういう傾向はハイインパクトジャーナルほど強いんじゃないだろうか。


でも、多分個別のデータにだって「何かを明らかにしている」という意味で、個別に重要性はある。わかりやすいとこでは、ゲノム情報。


新しくゲノム情報を読めば論文になる。けど、読んでる人が全ての情報を扱いきれるはずがないから、それを絞り尽くすためには、各分野の専門家が解析し直して有効活用していく必要がある。でも、実際にはそんなことされてなくて、再構成・再解析の余地は残りっぱなし。生物種間でのゲノム情報の比較だとかの「塩基配列での生命の比較」という最もオーソドックスで本質的な仕事をほったらかして、どんどん分子生物学的に細かい仕事をするのは、肉、もしくは野菜のどちらかだけを食べてるみたいで、バランスが悪い気がする。


で、そういう情報について、再構成・再解析・再解釈といった「パッケージ作業」や「浮いてる情報へのアノテーション付け」をすることで埋まる情報の空白地帯もあるんではないか。また、データ自体は新しくないけど、出てくる価値が本質的で意味のあるものなら、それはそれで世の中のためになるのではないか。と、そう思う。
んで、まあそう思って、最近はゲノム情報の有効活用のため塩基配列を持ってきて解析なんかをしたりもしてます。

これから書こうと思ってるトピック

上記のようなものがあって、以下のトピックなどについて、書けたら書いていきます。
・生物学におけるテレビとバネのアナロジー
  >リサーチプロポーザルの書き方を考えると
  >学振の申請書を書くのに当てはめると
・研究における「ジャンル」の勃興と衰退
・実験の基本的な考え方
・実践的な系統樹の書き方・考え方
・予算の仕組み(締めの時期だとか)と、クリーンな使い方、モラルとの兼ね合い
・本の役割
・ブレストしてみた話
・2012年度の抱負

*1:もちろんアクセス数は1種のフィードバックだし、沢山の人が読んでくれればモチベーションにもなるけど

*2:逆に、15人ぐらいでやってるラボセミナーが10分や20分が伸びるのについても、最近は気になってしまってしょうがない。敏感になりすぎるのも問題