大学院生はなぜこんなに働くんだろう、そんなに報われそうでもないのに。
読んだ。
日本のアカデミア人材育成が危ない・その1【コメント表示】 : 大隅典子の仙台通信
関係無いようだけど、タイトルのとおりにいつも思ってる。学部生だとかでもすごく頑張っている人が多くて不思議なんだけど、今回は博士課程の院生について。
大学院生がよく働く理由
自分で研究をすることを選んだ大学院生にとっては、「自分の好きなことをしている」からだろうし、ボスからもある程度のプレッシャーはあるだろうし、その後のキャリアのためにも成果を出しておく必要があったりするんだろう。さらに、博士課程学生の多くは独身で、時間的な制約が少ないこともあるだろう。*1
とりあえず、「院生がよく働く理由」に、ある程度の惰性や外部的な圧力があるとしても、大なり小なり「自分で博士課程という進路を選んだ」というのと「好きな研究を、好きなようにやっている」というのが根っこにあるんだと思われる。*2
一般的な社会人よりは働いてると思う。報われなさそうだけど。
でも、やっぱりどう見ても公務員に就職したり、ちょっとした大企業に就職した同期の方が圧倒的に楽そうに見える。時間的にも、仕事量や体力的にも。なにより、金銭的に「お金をもらって仕事をする」のと、「研究という仕事をするために、今はお金(授業料)を払って、無給で働く」ことの差は大きい。*3トータルで、どれくらいの「個人的な金銭上の損失」が生まれるんだろう。
頑張りの対価
こうやって大学院生として存分に頑張って、アカデミックポストを得られた時、その先には、それまでの対価として「好きな研究が好きなようにできること」だけは残っているんだろうか?あるいは、アカデミックポストを得られなかった院生の進路には、「少なくとも学部新卒と同程度の選択肢と可能性*4」は残されているんだろうか?
こういう状況を合理的に考えたら、学生は博士課程に進まない
そりゃそうだ。言っても大変だし、メリットも少ない。好きな事をするのに多少のリスクは仕方ない。けど、リスクを最小化するのも難しいし、その割にメリットが少なければ、そんな選択肢を選びはしない。
だから、「学部生が博士課程に積極的に進めるようにする」ためには、博士課程に行った先に、「アカデミックポストが必要」という他に、「アカデミックポストが十分に面白い」ことや、「アカデミックポストを選ばなかった時に、一般企業などへの就職について保険が効いたものになっている」ことも必要なんじゃないだろうか。今いる博士課程学生やポスドクは、自己責任ってことで目をつぶっとけばいい*5。