研究の「スジの良さ」って大事

研究の立案から実行に至るまで、「スジの良さ」ってすごく大事だと最近思う。「センスの良さ」と言うと個々人の持ち前の性質みたいになっちゃうけど、「その場面でとる手段」のスジの良さ。英語で言うと、"measure"みたいな意味で。


「スジが良いなー」と思う場面はどんな時だろう。と思ったけど、「スジが悪い場合」を考えたほうが良いかも。

スジが悪いと思う時

研究の流れからしてより上流から考えてみる。

背景・目的が曖昧なまま実験を始める

とりあえず持っているサンプルとメソッドで、活性を測ってみよう、みたいなのがうちの新入生に多い。けど、当事者がその意味合いを考えたり、先行文献と絡めて意義付けをできないと、「データはあるけど意味は無い」状況になっちゃいがち。


まあ指導上の流れってのはあるし、そこから研究に慣れてきて本人がどう方向づけるか、あるいは、どうまとめていくか、というところに任せてる面もあるだろう。ぱっと出る結果を出して、それを元に次の方向性を考える、と前もって段取りができてるならいいけど、流れのままいっちゃうとまとめて発表するのが大変になりそう。

調べ物がヘタ

そこはまずArticleになってる論文じゃなく、Wikipediaを見ればいんじゃね?って時もあるし、その逆もある。普段使いのGoogleWikipediaPubmedやGoogleScholarなどの論文検索や色んなデータベースなどのオンラインな情報から、成書になっててラボや図書館にあったりする紙ベースのものまで、調べ物をするときに参照できるものはいくらでもある。そういうのを適切なタイミングで適切な情報源に当たれるのはすごく大事。でも、ずーっとほしいと思ってた情報が、偶然関係ないとこで見つかったりするとすごく嬉しい。

目的とする結果を得るための方法がムダに力技

目的上必要ないのに、必要以上の濃度・時間をとってムダに多いサンプル数で本番の実験しちゃう、とか。そこは予備試験で十分検討しとくべきだろうって思う。あと、現状で持ってるメソッドにこだわって、もっと良い方法を探したりできてない時とか。自分も気をつけよう。

発表する段になってうまく背景や意義との関連を後付けできてない

しゃあないけど。だからといって、関係のない話がイントロで出てきても困るし、無理矢理にでもほのかに関係性の感じられるようなイントロを作って、意味がなくはない、という程度でもしっかり結論付けをした発表が見たい。

指導者に相談するタイミングが良くない

指導者との相互の信頼とか相互の利益の話は置いといて、結果が出た時、実験がうまくいかない時などなど話を聞いてくれる人や相談にのってアドバイスをくれる人がほしいときは結構あるはず。んで、指導者とディスカッションする習慣がないとか、ディスカッションした事自体ない、という場合、「全部一人で調べたり、計画したり、やっちゃうしかない」となる場合が多そう*1。これってすごくスジが悪い。んで、相談するとして、タイミングもある。


指導者が前向きに相談に乗ってくれる場合、究極的にはこれが一番大事な「スジ」かもしれない。教授だとかの指導者の方が知識・経験が豊富なはずだし、人脈など外部とのつながりもあるはず。前述のと関連して、例えば、「うまく実験系が立ち上がらない時」に「じゃあ、知り合いのラボに行って教わってきたら?」とか紹介してくれるかもしれないし、「この文献にその情報あるよ」と自分が1週間かけて見つけられなかったものを教えてくれることだってあり得る。

効果?効率?目的?

スジにも、効果を上げるもの/効率を上げるもの、と両方あるように思うけど、いずれにせよ「スジの良し悪し」は「目的」のはっきりさせ具合によると思う。「発表データ」ではなく、「プレリミナリーなデータ」がほしければボワっとしたやり方でよかったりそういう感じで。


んで、効果と効率のどっちが大事かといったら、前回読んだ本では「効果が先、効率は後」とあった。研究関係ないけどついでに。

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研究者あるある

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おわりに

上記みたいに色々「スジの良し悪し」を感じることがあるけど、自分もスジの良い仕事ができるよう客観的に自分を見れるようになりたいものだ。

*1:自分も最近まではそうだった