「本物」は自分で決めるしかないのかな
明日から学会のため今日は移動日。ホテルに到着して、とりあえずオーラルの練習をちょこっとしてみた。
ホテルの朝日新聞に載ってたオスプレイと天声人語のこと。
ホテルで新聞をもらった。普段読まないからけっこううれしい。
今日の一面は、米軍基地に導入されるとかいうオスプレイについて、米軍で事故があった時の事故調査報告書に圧力がかけられて、ねじまげられてたっぽいってこと。朝日新聞のスクープっぽい書き方だけどそういう独自のソースを持ってるものなの?
ニュースの内容としてはさもありなんって感じ。力学的には起こっても不思議ではない、そんな印象。
で、その下の天声人語には、パンダと絡めて「朝日新聞の新刊『すりへらない心をつくるシンプルな習慣』に云々。悪いことがあったおかげで良い時が云々」な話があった。啓発本は好きだし、タイムリーな宣伝にもなってるんだろうけど、タイトルからしてなんか微妙。こういう有象無象な感じの情報を天声人語に盛り込んでいいの?って思ってなんだか妙な気持ちにさせられた。
できるものなら「本物」に取り組みたい
話が飛ぶけど、こうやって情報があちらこちら、どこにでもたくさんありふれてて、どれが役に立つのか、自分が欲しているのか、だとかすごく判断が難しいと思う。んで、判断が難しいからといって、何も考えずに「贋物」に取り組むのはばからしい。*1
だから、研究に限らず、自分が本気で取り組む相手には「本物」を選びたい。でも、どれが本物かわからないから、自分が取り組むべきと判断する相手がわからない。それが問題。
本物は自分が決める
吉本隆明の本で「真贋」というタイトルのものがあったのだけど、ちょろっと読んであまりしっくりこなかったので読まずじまいになっちゃった覚えがある。内容はそれほど「真贋そのもの」の話ではなかったような。。
で、「本物」って何か?定義も難しいし、「本物」の例を挙げるのも難しい。でも、正直言って、「みんなが認める本物」なんてのは自分にとってはどうでも良かったりするんじゃないか。
だから、自分にとって問題となる「本物」のことだけを考える。そうすると、「自分にとって本物と思えたものを本物と自分で認定する」ってのが一番実践的なのかなーと思う。
で、うまくまとめられない
から、だからどうしたという話になってきたけど、こう考えると結局自分の持ってる価値観依存で「自分の本物」が決まってくるとも思えてくる。
ともあれ、仕事や趣味、家庭などなど生きてるうちにやることはたくさんあるんだけど、大事にしたい事柄については「自分が本物と判断するもの」をしっかり選んで、それにまっすぐ向き合って取り組んでいけたらきっとそれだけで一つハッピーなことだよな、とそう思えたって話。