長いスパン

研究の世界では、2-5カ年計画での研究費が多い。

だから、その成果も同じぐらいのスパンで求められるわけで、そうなると、それなりの短期間で成果が出るような申請書にお金がつくことになる。逆に、「10年−100年−1000年のスパンで人類が長期的にやっていくために絶対不可欠な研究」があったとしても、「5年とかの期間じゃ成果は出ないです」と正直に言っちゃうような申請書じゃお金がつかない。それでもそれでも、これでお金をとろうと思ったら、細かく区切って目先の話だけ書くなり、「無理やり短期間で成果が出る研究計画」に仕立てあげなきゃいけなくなる。

つまり、「今の時代に超長期的に重要な研究が実現できる人」には、「超長期的に不可欠な研究を考えられる」という一番大事でスペシャルなものに加えて、「話を短期間のものに書き換えてでも上手に申請書を書く」という能力が求められることになっちゃう*1。人類全体で考えたらでっかい損失なんじゃないかと思えて、なんだか不条理・不合理・無意味・本末転倒で、不毛な話。

多分、科学のこれまでに見てきた大いなる発展のうち、「5年で結果の出る研究」というスタート地点から生まれたものは少ない。大いなる発展を生むのは、ただ、「大事なものを大事だからという正直な理由で、好奇心に溢れた状態で、素直に自由におっかけられる」状態。そういう人が少しでもいて、一人が望ましい成果を出せば、人類にとっての大きな一歩になるんだろう。



翻って、今の時代、何事も短期的に成果を求められるようになってきているのは間違いなさそう。資本主義的なところでの仕事もそうだし、子供の教育もそうだし、まあ、知らず知らずのうちにみんな気が短くなってしまっているんだろう。んで、それが知らず知らずのうちに評価する側の意識に浸透してしまっているから、評価される側もそれに合わせて、というある意味自然な流れなんだろう。


数日前に、「数年で終わるような研究を考えてもダメだ。数十年かかるものを考えろ」的な話をどっかで見て、そんなことを考えるきっかけになった。自分は、気を長く持って、ムダとかゆとりを大事にしつつ、長期的に楽しく、面白いことがやっていけるようにしたい。できれば話を曲げたりするのは避けて、正直に素直にやっていきたい。

*1:さらに言えば、この上手に書く能力ってのは、スパンが長いほどに、比例してたくさん求められることになるような