物事をできるだけクリアに扱うこと

アメリカの政府がShut downをしたとかで、政府機関の研究者も大変そう。頑張って。

今回の学会については後ほど書けたら書くつもり。で、学会中に色々と考え事が浮かんできてるのでそのうちの比較的ちっちゃいのを一つ書いとく。

物事をクリアにしてあげること

クリアにできる、できないではなくて、研究対象として扱うものは、できるだけクリアにしてあげなきゃいけない。研究してる当事者の責任と思う。んで、物事や状況をクリアにするのは、得てして「情報の整理・視覚化」か「本人・当事者の決断」だと感じる。


後輩と話しててよく聞くのがこんな言葉。

・可能:それはできます。
・願望:それもあったらいいんですけど。
・希望:それもしてみたいです。


他人事みたいなハンパなコメント。んで、研究テーマとか大きな話ではなくて直近の実験結果や実験予定レベルの話の中でもこういうのが出てきて、しかも、その後の考察・自分の意見みたいなのがあまり続いてこない場合が多くて残念。できるんならやりゃいいし、あった方がいいならなんとかして用意すればいいし、してみたいならやりゃいい。ディスカッション相手として、正直に思ったこと・役立つかもしれないことをコメントしてるんだけど、俺ボスじゃないから勝手に決められないし、多分、自分で意志的に考えたり、決めていったりしたほうがいいよ、と思う。


目の前の問題に関する議論だったら、以下のような視点で話した方が生産的だと思う。
・行動の必要性:できるできない、ではなくて、すべきかどうか
・モノの必要性:あるといい程度のものか、ないと困る、得るべきものかどうか
・本人の意志:してみたいかどうかではなくて、他のものを曲げてでもする気になるかどうか


上のと似てるんだけど、全然違う。んでこっちの視点で議論してYes/Noを積み重ねていく方が、研究を前にすすめるのには役立つはず*1。少なくとも相手の時間を使う以上、可能や希望、願望の話じゃなくて、研究として自分がどっちに進めたいのか、どう進めたいのかというところに話がいってほしいもの。


んで、議論前に一度自分で考えてみて、それを人に聞いてもらってコメントをもらい、また自分で考えてみる、そうしてから決める。この過程で物事をどんどんクリアにしていく、それが議論*2の有益な使い方なんじゃないかと。あったらいい、とかそういうのは本線の話が済んでなおゆとりがあるときに考えること。


思考の一本足打法

上記みたいなプロセスを踏んで、色んな選択肢や分岐点があるグッチャグチャな物事を整理していくのは、「研究」という作業の割と本質的なところだと思ってる。だけど、学部生の場合、選択肢が一つだけってことが多い。クリアにする以前に、クリアにする要素が足りてない。


例えば、
・なんでこういう結果になったんだろう?と言う時に、「それはこう言う可能性があるって本に書いてありました」→「それで本当にその通りなの?」→「いや、全然他の可能性もあり得るんだと思います」
・実験が一段落した所で、次に何をするの?というと、「コメントしてもらってて、これに興味があるんでこれやります!」→「それって明らかになることのインパクトがあまりないよね。それ以外にやってみたいこととか、やるべきことってないの?」→「考えてないです!」
・発表のスライドの考察で、「Aと言う結果は、Bという原因で起こったと思われます」→他には?→「思いつきません!」
みたいな感じ。


いつも、そこ一つだけでいいの?と思っちゃう*3。他人が聞いても思いつくようなアイデアと、ボスが考えそうなことと、自分のオリジナルな考えってので3つぐらいは選択肢がほしいじゃないか。その中で選んだ方がうまくいく可能性上がりそうじゃんか。


選択肢の増やし方とかは置いといて、こういう状況だと思った時には、後輩に「それ一本足打法じゃね?」と言ってわざとバカにするようにしてみてる。なんというか、本当にありがちだし、自分でも意識してほしいし、それにはわざと名前をつけちゃったほうがわかりやすいかなと。時々はすごく危うい一本足打法もあったりして、「その一本足では立てないでしょ」みたいな応用も可能。

*1:卒論を切羽詰まらずに余裕を持って仕上げるのにも役立つ。間違ってたとしても、大抵の場合あとで引き返すことができる

*2:と先生・先輩

*3:場合によっては助教の先生とかにもそう思う。それ決め打ちすぎない?と。