自分の芯を持つ−読書とか研究とか

レビューと本選び

あるブログで本選びについて、「有象無象の本の中から自分で選んでもなかなか当たらんから、アマゾンの書評見たほうがいいよね」みたいに書いてた。思った。本選びに、自分なりの軸を持つのは大事。


自分の場合、本選びの時にレビューを読むのは、本の構成や内容の雰囲気と、ハズレっぽいかどうか知ること。当たりの本を選ぶために見るのではなくて、「あからさまなハズレを除外するため」に見てる感じ。本が当たりかどうかは結局「その時の自分」次第だから、他人であたったかどうかは重要じゃない。


ましてや、他人が読んで高評価だったから、だけで本を選ぶのは、「自分だけの読書経験作り」を放棄している。店頭でタイトル・装丁・目次だとかでビビっときて、家で読んだらやっぱ面白かった!、とか店頭でビビっときたけど、大ハズレだった!やっちまったぜ!!なんで外れた??みたいな経験がしたいやん?

本選びには自分の軸がモノを言う

本をどれくらい読むか、読書をどう見てるか、で違いそうだけど、良い読書経験作りの本選びにはちゃんと「自分なりの軸」が必要だと思う。


ここで言う「良い読書経験」てのは、かなり属人的で、その人にしかできない面白い読書体験の蓄積のこと*1。一冊ずつ自分なりに選んで、読まない本もあるけど自分なりに読めるやつを読んで消化・蓄積していくというのが読書。良い読書経験には、一定以上「いいと思って選んだのに外れた」というのも必要だろう。一生懸命選んで買ったけど読まなかったてのもある。


自分の軸でもって本を選び、一冊ごとに「いい経験させてもらった」とか、「買わなきゃよかった!」みたいな経験をしていくことで、本選びの軸がブラッシュアップされ、自分なりの読書の蓄積ができていくんだと思う。だから、律速段階を超えるためにレビューだとかである程度省力化するのも大事だけど、その辺で思考停止して自分の軸を使うのをやめたら、根本的に「自分の読書」にならないんじゃないかと心配。

軸って何か

結局は、「自分が何に惹きつけられるか」が軸になるんだと思う。感性や感動、興味、悩み、美学、だとかその辺りの感覚。*2


同じ人でもその時々で変化するから、その時々で読みたい本も変わっていき、それが全体として「その人の読書体験」を作るんだと思ってる。んで、これは読書に限らずなんでもそうやって「個性の元」があって、「目に見える個性」と相互作用していくんだと思う。

読書を離れて研究とか仕事などいろいろ

自分は、各人が自分なりの軸をガチっとさせて、それをぶつけあうことで出てくるものが見たい。それぞれ違う感性や興味があるから、同じものでも違う情報収集の仕方をしたり、違う判断、違うアプローチになったりする。各人が自分の軸を使うことで、本気・本物の仕事になるような気がする。


時々で誰しもの軸が変わっていくけど、その時々の自分の軸に責任と自信を持って主張しあい、前に進む。そこで見えてくるものが見たい。

*1:古典の名作だとかたくさんあるけど、呼んだ時に自分に触れるものがなければ得るものもない

*2:これに加えて、業務上の必要性だとかで「あまり惹きつけられないけど、しゃあなく読む本」もあるだろう