民主的にやると物事はなんでも大げさになる
分生行きたかった。今年がラストチャンスだったけど、参加するゆとりなかった残念。
と思いながら筒井五輪シリーズ(通称票トラ)を読んでてタイトルのようなことを思った。政治にかぎらず、人の共感が得たいときだとか何でも通じる。
- 作者: ケニー鍋島,前川つかさ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2001/09
- メディア: コミック
- この商品を含むブログ (2件) を見る
何にでもバイアスがかかってる
民主的な環境で何かをしようとすると、周りの人の賛成や共感が必要。賛成・共感を得るには「したいことの必要性、妥当性」を伝えなきゃならない。
その時、したいことが目の前のものやちっちゃなことであれば、ありのまま説明して、ありのまま理解してもらえる。
逆に、大きいこと、遠くのことだと、説明が難しくなる。全てをわかってもらうことができないから、インパクト重視で、時には無理やり「あなたにも関係があるんです」とつなげたりして、なんとなくわかってもらって支持をもらえるように頑張る。そうすると、大げさになる。ありのままの説明でなくて、バイアスがかかった説明になる。
ポジショントークありき
この「ありのまま+バイアス」な説明が、ポジショントーク。実体よりちょっと大きめのものが「社会的な説明」になる。
昭和政治的な筒井五輪の世界だと、「実際にやりたいことじゃないけど、駆け引き上言っておく。言ったところで実現しないだろうし。」だとか、「本当にやりたいことは、やりたいと悟られない中で実現する」みたいなのがよくある。
そういう世界だと、ポジショントークができて当たり前、その上での駆け引きができて当たり前。ポジショントークなしでやりたいことをストレートに言っちゃうと、駆け引きもなく、不要な衝突がガンガン起こって世の中がスムーズに回らなくなる。ポジショントーク出来る人たちから見れば、ストレートにモノを言う人は「最近の若い連中は手荒なのが多い」となる世界観*1。こういう考え方は嫌いじゃない。
実際の世界も、票トラほどではないだろうけど、見るからにまっすぐゼンツな人や見るからにベタオリな人ばかりじゃない。ブラフもたくさん混じってる。ブラフ混じりの遠いとこからの仕掛けみたいに、とりあえずやって見る精神だって大事。こういう虚々実々みたいなのが入り混じってるのが、現実の世界なんだと思う。
鵜呑みにしないリテラシーが大事
そういう世の中で、人が言うことをそのままの大きさで受け止めるなんてのはすごくダサい。見えたままで捉えていいものなんてほとんどない。
TPPがどうたら、でも、温暖化は二酸化炭素のせい、でも、その辺にある「二次情報」を鵜呑みにするのはダサい。誰が最初にそれを言ったか、その人はなんでそれを言い出したのか、そこにポジショントークはどれくらい混じってるのか?それが問題。
周りでワーワー言ってる多くの人たちは、所詮感化された人。流されてそう言ってる可能性が高い。陰謀論を言いたいわけじゃないけど、誰も正解を持ってない世界なんだから、二次情報ごときに振り回されるわけにはいかない。
あの人がそういったのなら、この程度で受け止めるのが良さそうだな。
メディアにの言ってることは、自分で事実と推測を区別しようぜ。
自分がどう行動すれば、これを実現できるんだろうか?
まとめ直す
民主的だからこそ正解のない中で正解を持ったふりをする人が生まれるし、みんなの思惑が働く。
だから、そういう思惑をちゃんと大事に扱って、判断・行動していけるのが大人なんだと思う。そういうキャパシティを増やすこと、それか、思惑に左右されない圧倒的な行動力・実現力を持つこと、それが課題。
学部生とか見てると、素直なだけで思惑の読み取りや扱いが悪い人が多くて子供っぽく見えるんだよな。
追記:まとめ方間違えたので書きなおした
*1:昭和は本当にこんな感じの、手練が政治を回す古き良き時代だったんだろうと推察