知見を生み出す−学会発表準備の時に卒論生に意識してほしいこと
後輩の学会発表準備を見てて、背景や目的、考察が浅いなー、それだと研究っていうよりテクニシャンの仕事みたいだなーと思って色々考えてた。*1
学会発表での学部生的な間違い
学部生の発表でよくある間違いは*2、
・A・Bを比較することを目的として研究しました
・Aの値を明らかにすることを目的として研究しました
この二つの何が問題か。問題は、この目的が方法レベルのものであること。方法を目的にしちゃってる。一番目に対応する答え=結論は、「AはBと比べて@@でした」、二番目に対しては、「Aは@@という値でした」という本来であれば結果セクションのもの。じゃあ、そもそもその発表は方法と結果だけでいいんじゃない?どんな意義や問いがあるのかわからなくて面白くないけど。
目的と結論、方法と結果の対応、その深さ
研究として望ましいのは、何か明らかにしたいものがあって、その戦略として実験方法を選び、実験結果を得る。その実験結果が元々の研究目的に対して、どんな答えになっているのか考察する。という形。
- 目的っていうでっかい、抽象的な所から入っていって、
- その参考となるデータを得るため、「具体的な実験方法」を考え、
- 実験してみて、「具体的な実験結果」*3を得て、
- 結果が意味する所を考えて、抽象的なレベルでの考察や結論を得る。
という流れで、自分のイメージでは、初めにでっかいところから入って、方法−結果で一度ものすごく具体的な、深いところに潜り込み、考察でガッと浮かび上がってくる感じ。んで、研究とはそれを何度も繰り返していくこと。
んで、この辺を学会発表だとかとつなげて後輩に伝えるのは難しいなーと思って考えてた。
研究成果は言語化されるはずのもの
研究の目的は、社会貢献できるようなモノ作り的なのも含めてすべからく、何かを明らかにすること、なんだけど、「何らかの知見をEstablishすること」とも言える。単なる言い換えなんだけど、後者だと「研究成果が言語化されるべきものだ」ってニュアンスが出る。んで、だからこそ、研究者のよるある目標の一つが、「教科書に一文を加えること」や「教科書の一文を書き換えること」だったりするんだろう。
知見とは
言葉で表現された形での知識のこと。学会で発表するのは、「自分が得た知見」のはずで、それはデータなどの具体的なところを離れて、言語化されてなきゃならない。
例えば、Wikipediaよりチューブリンに関する一文。
・チューブリンは真核生物の細胞内にあるタンパク質であり、微小管や中心体を形成している。
この知見から、その元になった研究へさかのぼって考える。
・これが明らかになる前に行われてた研究はどんなだったのか
・チューブリンが発見されたのはいつ、どんなことを目的にした研究だったのか
・真核細胞ってのはどう明らかにしたのか
・微小管を形成している仕組みはどんなふうか
と、この一文が、いろんな問いに対するいくつもの答えが集まった一文だとわかる。この一文をEstablishするだけでも100-1000本ぐらいの論文が生まれたんだろうと思う。
知見を生むために研究する
この辺の考え方を自分の研究にフィードバックしていくと、
・自分が今している研究の答えが得られた時、その答えはどんな文章になるんだろうか?
・自分の研究から生みだしたい「理想的な一文」は?
という問いが出る。じゃあ、その文章の出自になるような具体的な実験方法・実験結果はどんなだろうか?そんな感じでつらつらと考える。
学会発表前であれば、得られているデータが目の前にあり、「理想的な一文」には不足していることが多い。でも、そのデータが意味するところは少なくないはず。どんな問いに対する結果が得られたのか?言葉にするならどんな形の答えで、どんな問題に答えているのか?
そんなことを、学部生だとかにも考えてもらえたらなーと思って書いてみた。